2026年1月7日、富山出身の女優 岩倉高子さんが亡くなりました。85歳でした。
舞台演劇に詳しくない方はご存知ないかも知れませんが、富山出身で、劇団青年座所属の女優さんです。津嘉山正種さんとの共演が多く、「黄昏」「招かれざる客」など、近年まで素晴らしい作品に色々と出演されていました。謹んでご冥福をお祈りします。
実は岩倉さんとは個人的にかなり親しくさせてもらっていました。岩倉さんのお父さん(小説家の岩倉政治さん)が晩年体調を崩されていた時期に、娘である高子さんは女優業を一時的に休んで、富山でお父さんの介護をされていた時期がありました。そして介護の傍ら地元の演劇界に貢献したいということで、高校演劇の審査員や、地元住民向けの演劇ワークショップ、富山国際大学の客員講師などをされていました。
ちょうど僕が高校・大学生だった1998年〜2005年がその時期と重なっていて、かなり仲良くさせてもらうことができたのです。
学生時代の思い出
僕は高校時代は演劇部員、地元の富山大学に進学後もアマチュア演劇を続けていて、その時期に岩倉さんから演技指導を指導を受ける機会に恵まれました。僕を含め、その時期に岩倉さんと携わった仲間たちは「岩倉先生」と呼んでいて、岩倉さんも僕らを「生徒たち」と扱ってくれていました。
最初の出会いは、高校演劇県大会の審査員としての岩倉先生。全学校の上演が終わった後の講評のときに、全体の感想だけではなく、1校1校すべての学校に対してユーモアを交えたコメントを丁寧にくださっていたのをよく覚えています。
僕が高校1年生の時の舞台では、たびたびナレーション的な独白を入れていたのですが、それをバッサリ一刀両断。
「わざわざ客の方を向いて『これが始まりだったんだ』とか言わなくていいのよ。客は言われなくても『何か始まりそうだ』って気づくんだからさ、余計なこと言わないで、もっと客を信用しなさい!」
こんなテンションで、壇上から僕らの学校の席に向かって言ってくださるんですね。勉強になるし面白いし、「この人は只者ではない!」と思いました。
岩倉先生の審査によって県大会を通過した学校は、次の中部ブロック大会に進むのですが、中部大会前には岩倉先生の指導を直々に受けられる機会がありました。その指導が凄くわかりやすくて、やっぱり面白くて、富山大学に進学した僕は、迷わず富山市主催の「岩倉高子演劇ワークショップ」に参加しました。
その当時、富山市にある「芸術創造センター」という練習施設で、毎年夏〜秋に「岩倉高子演劇ワークショップ」が開催されていました。岩倉先生の指導を受けながら1本の演劇をみんなで完成させて、11月に芸術創造センターで開催されるイベントで一般客を入れて発表する、大掛かりなワークショップです。
岩倉先生はアマチュアだろうが指導は容赦なく、熱が入ってくると「下手くそ!」と怒鳴られることもしばしば。ピリピリした稽古場の空気が不思議と心地良く、本番前の団結感、終わった後の達成感は素晴らしいものがありました。
富山国際大学の学生は、岩倉先生の授業も大学で受けられたので羨ましかったなぁ… 富山大学にはそんな授業はなかったんですよね。私学で地域密着型の富山国際大の良さだったと思います。国際大での授業は富山市の演劇ワークショップほどガチではなくて、その時間の岩倉先生は優しい優しい先生だったと聞いています。
岩倉先生のワークショップで集まったメンバーを中心に自分達でアマチュア劇団「演人全開血が滾ってきたぜ!」を立ち上げたり、富山国際大学のある大山町でも岩倉先生が講師の「大山町民演劇塾」が開催されて助っ人で出演したり、岩倉先生がオーディションの審査員をされた市民ミュージカル「海底ホスピタル」(演出:荒巻正さん)にも出演したり、岩倉先生からの繋がりから色々と派生して、僕の大学4年間は演劇漬けの日々でした。(別途ワンダーフォーゲル部もやってたので超忙しかった…)
特によく覚えている演目が、宮本研「からゆきさん」、田中千禾夫「肥前風土記」、福田善之「真田風雲録」あたりです。どれもけっこう古い戯曲で、それぞれの作品に岩倉先生も出演されたことがあったようです。
僕は有難いことに毎回かなり中心的な役をもらっていましたが、プロの役者を目指していたわけではなく、あくまで「学生時代を思いっきり満喫するための趣味としての演劇」でした。それをトコトン本気で取り組んでいました。2004年(大学4年生)の夏の大山町民演劇塾「真田風雲録」で完全にやり尽くして燃え尽き、それを最後にアマチュア演劇からは引退しましたが、あの時期の経験は、その後の人生の大きな大きな糧となっています。
演劇の稽古をやってない時期も、一緒にご飯食べたり、映画見に行ったり、単なる「ワークショップ参加者と指導者」の域を超えて、プライベートでも相当仲良くさせてもらっていました。そういえば「パソコンを買ったから教えて」といわれてしばらく「パソコン家庭教師」をしていたこともありましたねぇ。「おさる」が「モンキッキー」に改名させられた細木数子のテレビも、確かパソコン家庭教師のあとに岩倉先生の家で2人で見てたんだよなーw
一部からの批判
岩倉先生が富山で精力的に活動していた時期には、一部の方面からは批判の声も聞いたことがあります。その中の一つに「あの人はやってることが古いよね」という声がありました。「自分は先鋭的な誰もやってない芝居をやりたいんだ!」という熱い人達がそんなことを言ってたように記憶してます。
この場を借りて僕からその批判に答えるならば「はい、古いです。それが良いのです。古いものをしっかり丁寧にやるのが岩倉先生の指導の素晴らしさです」と自信を持って言えます。
ちょうど「からゆきさん」の稽古中だったと思いますが、何かのきっかけで岩倉先生自身がそれについて参加者全員の前で話してくれたことがありました。
「みんなの中には、こんな昔の脚本じゃなくて、もっと現代的でぶっ飛んだ芝居をやりたいと思ってる人も多いと思います。その気持ちは良いけども、飛んだ芝居をするのは難しいの。まずはちゃんとした脚本でセリフをしっかり言えるように丁寧に稽古を重ねて、基本を身につけて、それが出来て初めて飛べるのよ。だから私はアマチュア向けのワークショップでは飛んだ舞台は作らない。やりたかったら、ワークショップが終わってから自分たちで好きにやりなさいね」
記憶を頼りに書いてるので実際の言葉そのままではないけど、概ねこんな意味のことを言ってくれたのはよく覚えています。目が覚めたような気持ちになり、一部からの批判にも堂々と「それは違うんだよ」と言い返せるようになりました。
大前提として、富山で活動していた時代の岩倉先生は「プロを目指す役者を育てる」という気はそんなになく「普通の仕事・学校で生活している人達に、演劇の素晴らしさを伝えたい」という気持ちが強かったのではないかと思います。
プロとは何か?
実はかなり僕が調子に乗っていた時期に「アマチュアだけどプロと同じ気持ちでやってます!」とか豪語して、こっぴどく叱られたことがありました。岩倉先生の中でのプロ/アマの境界線は明確で「プロはいつでも背水の陣。認められなければ仕事を失うから、相当な覚悟で演じている」という哲学があり、以前から何度も聞かされていました。
僕が叱られたのは当然で、「あかざ!アンタは確かに芝居はできるけど、プロ目指してないんでしょ?大学出たらパソコンの仕事するんでしょ?『プロは背水の陣』と私いつも言ってたじゃない。背水の陣を敷いてないあんたはどれだけ上手くてもアマチュアなのよ。その覚悟がない人間が『プロと同じ』とか言う資格ないのよ!」と言われ、ぐうの音も出ず、自分の甘さを恥じました。
実は岩倉先生以外のプロの役者さん・演出家さんとも別の芝居で携わる機会があって、その人達からは「プロ目指さないの?」「もし君がプロ目指すとしたら…」みたいなことを何度か言われたことがあったんです。でも岩倉先生からは「もしプロ目指すなら」という仮定の話すら一度もされたことはありません。「プロを目指したいんです!」と本気で相談する一部の生徒には親身に相談に乗ってくれる一方で、僕のようにアマチュアと割り切ってやっている人間に対しては「アマチュアとしてわきまえながら、本気でやりなさい」というスタンスでした。
さっきの叱られたくだりも、人によっては「そんな言うならプロ目指してみろよ!」と叱る人もいるでしょう。でも岩倉先生は決してそんな言い方はせず「あなたはプロ目指していないのよね?」と、明確にそこの線引きをした上で僕を叱ってくれました。誰よりもプロの厳しさを知っている岩倉先生は、演技指導で生徒に求める「実力」はアマチュアだろうが関係なく妥協しなかった一方で、実際の「覚悟」という点で、明確にプロとアマを区別していたわけです。
そのうえで、「アマチュアでも演劇に携わることは素晴らしいこと。富山のアマチュア演劇界がもっと盛り上がってほしい」という思いがあり、アマチュア相手に精力的に活動されていました。
女優・岩倉高子
女優としての岩倉先生の舞台を観たのはだいぶ後で、2004年の年末「青年座 下北沢5劇場同時公演(下北沢ジャック)」企画の一つ「桜姫東文章」でした。出会ってから7年目の冬。岩倉先生はこの時期から本格的に舞台に復帰されて、徐々に軸足を東京に戻していくことになります。
それまでの7年間は「演技指導の先生」としての顔しか知らなかったのですが、初めて「女優・岩倉高子」の本気の舞台を観て「これが岩倉先生の真骨頂なんや!凄い!凄すぎる!!!」と僕は感動しきりでした。終わった後少し話す時間があったのですが、先生は最初舞台のことには触れずに「じゃあご飯どこ行こうか?」とか言い出すので、『先生、なんでそんな普通なんですか!感想とか聞いて下さいよー』「あーハイハイ、どうだったー?」『お見それ致しましたーッ!』「アハハハハ!よかった〜」みたいな会話がありました。とにかく僕は、その舞台を見た後数日間は興奮しきりで、今までの岩倉先生の言葉を反芻しては「こういうことだったんだなぁ〜」としみじみ振り返る日々でした。
アマチュアへの指導は「古い」スタイルで間違いなかったですが、かたや青年座の芝居に関しては「古い」とは僕は全く思いません。王道の新劇でありつつ、随所に現代社会を風刺するようなテーマを入れ込んで、伝統・安定感と新しさが共存する「深みのある舞台」という印象でした。
ちょうど僕がアマチュア演劇を引退する時期に岩倉先生が舞台復帰されたので、僕の中では「先生に指導してもらった時期」と「先生の舞台を観劇する時期」の区切りが明確に分かれることになったわけですが、最初に観た「桜姫」に関しては、僕の中では「岩倉先生による最後の演技指導」みたいな感覚が(勝手に)しております。「今まで色々伝えてきたけど、集大成に私の本気の芝居を魅せてあげるわ!」というメッセージを僕の中で勝手に感じておりました。(岩倉先生本人はそこまで考えてないはずw)
そんなこんなで僕の学生時代は終わりました。社会人になってからは客として純粋に岩倉先生の舞台を何度も観劇させていただき、終わった後は劇場近くの喫茶店でお茶しながら、芝居の話や学生時代の思い出話で楽しくお喋りする関係でした。数年に一度、富山にいらっしゃったタイミングで当時のワークショップ生徒で岩倉先生を囲んで会食することなどもありました。
お別れ
僕が最後にお会いしたのは2021年の11月に富山に来られた時です。途中に病気をされたことが何度かあったようですが、会うといつも元気いっぱいで、「変わらないなぁ」と思っていました。
子育てが忙しくなってからは東京の芝居を見に行けない日々が続いていたのですが、2024年の5月に出演予定だった「まほろばのまつり」を久しぶりに観に行ける都合がついて楽しみにしていたところ、稽古時期の途中で岩倉先生は体調不良で降板されてしまいました。近年は「毎回これが最後の舞台だと思ってやってます」とおっしゃっていた岩倉先生。LINEしたら相変わらずとっても元気だったので、必ず復帰してくださることを信じて待っていたのですが、復帰は叶わぬまま先日永眠されました。もっともっと舞台を見たかったし、お話したいことがたくさんありました。とても悲しいです。
2026年1月7日に亡くなられて、13日に東京でお通夜があったので参列させていただきました。ずっと会えてなかった東京在住の仲間にも再会することができて、先生は最期にまた生徒たちを繋げてくれたような気がします。みんなで話していると昔の雰囲気そのままで、ふっとドアの向こうから岩倉先生が「おまたせ〜!」って入ってきてくれるような気がしてしまいました。
岩倉先生、今まで本当に本当にお世話になりました。まだまだ書ききれないほど沢山の思い出がいっぱいですが、僕にとって先生は「プロとしての覚悟、生き様を見せてくる唯一無二の存在」でした。学生時代からもちろん尊敬していましたが、社会に出て、自分もプロとして様々な仕事に携わる中で、ふとしたタイミングで岩倉先生の「プロはいつでも背水の陣」という言葉を思い出して、身を引き締め直すことができています。ありがとうございます。
僕も40歳を過ぎて、人生折り返しの時期になりました。岩倉先生のように生涯現役でいられるかどうかは分かりませんが、天国でまたお会いできた時に「よく頑張ったわね」と言ってもらえるように、僕は僕なりの「プロ」として、精一杯やっていきます。
これからも見守っていてくださいね、岩倉先生。
2026年1月14日 赤座久樹


