The Red Creation Blog

プログラマーです。 富山県の旧細入村でリモートワークしてます。 プログラミングとPerfumeと動画制作が大好きです。

日記

プロはいつでも背水の陣 〜岩倉高子さんを偲んで〜

2026年1月7日、富山出身の女優 岩倉高子さんが亡くなりました。85歳でした。

舞台演劇に詳しくない方はご存知ないかも知れませんが、富山出身で、劇団青年座所属の女優さんです。津嘉山正種さんとの共演が多く、「黄昏」「招かれざる客」など、近年まで素晴らしい作品に色々と出演されていました。謹んでご冥福をお祈りします。

実は岩倉さんとは個人的にかなり親しくさせてもらっていました。岩倉さんのお父さん(小説家の岩倉政治さん)が晩年体調を崩されていた時期に、娘である高子さんは女優業を一時的に休んで、富山でお父さんの介護をされていた時期がありました。そして介護の傍ら地元の演劇界に貢献したいということで、高校演劇の審査員や、地元住民向けの演劇ワークショップ、富山国際大学の客員講師などをされていました。

ちょうど僕が高校・大学生だった1998年〜2005年がその時期と重なっていて、かなり仲良くさせてもらうことができたのです。

学生時代の思い出

僕は高校時代は演劇部員、地元の富山大学に進学後もアマチュア演劇を続けていて、その時期に岩倉さんから演技指導を指導を受ける機会に恵まれました。僕を含め、その時期に岩倉さんと携わった仲間たちは「岩倉先生」と呼んでいて、岩倉さんも僕らを「生徒たち」と扱ってくれていました。

最初の出会いは、高校演劇県大会の審査員としての岩倉先生。全学校の上演が終わった後の講評のときに、全体の感想だけではなく、1校1校すべての学校に対してユーモアを交えたコメントを丁寧にくださっていたのをよく覚えています。

僕が高校1年生の時の舞台では、たびたびナレーション的な独白を入れていたのですが、それをバッサリ一刀両断。

「わざわざ客の方を向いて『これが始まりだったんだ』とか言わなくていいのよ。客は言われなくても『何か始まりそうだ』って気づくんだからさ、余計なこと言わないで、もっと客を信用しなさい!」

こんなテンションで、壇上から僕らの学校の席に向かって言ってくださるんですね。勉強になるし面白いし、「この人は只者ではない!」と思いました。

岩倉先生の審査によって県大会を通過した学校は、次の中部ブロック大会に進むのですが、中部大会前には岩倉先生の指導を直々に受けられる機会がありました。その指導が凄くわかりやすくて、やっぱり面白くて、富山大学に進学した僕は、迷わず富山市主催の「岩倉高子演劇ワークショップ」に参加しました。

その当時、富山市にある「芸術創造センター」という練習施設で、毎年夏〜秋に「岩倉高子演劇ワークショップ」が開催されていました。岩倉先生の指導を受けながら1本の演劇をみんなで完成させて、11月に芸術創造センターで開催されるイベントで一般客を入れて発表する、大掛かりなワークショップです。

岩倉先生はアマチュアだろうが指導は容赦なく、熱が入ってくると「下手くそ!」と怒鳴られることもしばしば。ピリピリした稽古場の空気が不思議と心地良く、本番前の団結感、終わった後の達成感は素晴らしいものがありました。

富山国際大学の学生は、岩倉先生の授業も大学で受けられたので羨ましかったなぁ… 富山大学にはそんな授業はなかったんですよね。私学で地域密着型の富山国際大の良さだったと思います。国際大での授業は富山市の演劇ワークショップほどガチではなくて、その時間の岩倉先生は優しい優しい先生だったと聞いています。

岩倉先生のワークショップで集まったメンバーを中心に自分達でアマチュア劇団「演人全開血が滾ってきたぜ!」を立ち上げたり、富山国際大学のある大山町でも岩倉先生が講師の「大山町民演劇塾」が開催されて助っ人で出演したり、岩倉先生がオーディションの審査員をされた市民ミュージカル「海底ホスピタル」(演出:荒巻正さん)にも出演したり、岩倉先生からの繋がりから色々と派生して、僕の大学4年間は演劇漬けの日々でした。(別途ワンダーフォーゲル部もやってたので超忙しかった…)

特によく覚えている演目が、宮本研「からゆきさん」、田中千禾夫「肥前風土記」、福田善之「真田風雲録」あたりです。どれもけっこう古い戯曲で、それぞれの作品に岩倉先生も出演されたことがあったようです。

僕は有難いことに毎回かなり中心的な役をもらっていましたが、プロの役者を目指していたわけではなく、あくまで「学生時代を思いっきり満喫するための趣味としての演劇」でした。それをトコトン本気で取り組んでいました。2004年(大学4年生)の夏の大山町民演劇塾「真田風雲録」で完全にやり尽くして燃え尽き、それを最後にアマチュア演劇からは引退しましたが、あの時期の経験は、その後の人生の大きな大きな糧となっています。

演劇の稽古をやってない時期も、一緒にご飯食べたり、映画見に行ったり、単なる「ワークショップ参加者と指導者」の域を超えて、プライベートでも相当仲良くさせてもらっていました。そういえば「パソコンを買ったから教えて」といわれてしばらく「パソコン家庭教師」をしていたこともありましたねぇ。「おさる」が「モンキッキー」に改名させられた細木数子のテレビも、確かパソコン家庭教師のあとに岩倉先生の家で2人で見てたんだよなーw

一部からの批判

岩倉先生が富山で精力的に活動していた時期には、一部の方面からは批判の声も聞いたことがあります。その中の一つに「あの人はやってることが古いよね」という声がありました。「自分は先鋭的な誰もやってない芝居をやりたいんだ!」という熱い人達がそんなことを言ってたように記憶してます。

この場を借りて僕からその批判に答えるならば「はい、古いです。それが良いのです。古いものをしっかり丁寧にやるのが岩倉先生の指導の素晴らしさです」と自信を持って言えます。

ちょうど「からゆきさん」の稽古中だったと思いますが、何かのきっかけで岩倉先生自身がそれについて参加者全員の前で話してくれたことがありました。

「みんなの中には、こんな昔の脚本じゃなくて、もっと現代的でぶっ飛んだ芝居をやりたいと思ってる人も多いと思います。その気持ちは良いけども、飛んだ芝居をするのは難しいの。まずはちゃんとした脚本でセリフをしっかり言えるように丁寧に稽古を重ねて、基本を身につけて、それが出来て初めて飛べるのよ。だから私はアマチュア向けのワークショップでは飛んだ舞台は作らない。やりたかったら、ワークショップが終わってから自分たちで好きにやりなさいね」

記憶を頼りに書いてるので実際の言葉そのままではないけど、概ねこんな意味のことを言ってくれたのはよく覚えています。目が覚めたような気持ちになり、一部からの批判にも堂々と「それは違うんだよ」と言い返せるようになりました。

大前提として、富山で活動していた時代の岩倉先生は「プロを目指す役者を育てる」という気はそんなになく「普通の仕事・学校で生活している人達に、演劇の素晴らしさを伝えたい」という気持ちが強かったのではないかと思います。

プロとは何か?

実はかなり僕が調子に乗っていた時期に「アマチュアだけどプロと同じ気持ちでやってます!」とか豪語して、こっぴどく叱られたことがありました。岩倉先生の中でのプロ/アマの境界線は明確で「プロはいつでも背水の陣。認められなければ仕事を失うから、相当な覚悟で演じている」という哲学があり、以前から何度も聞かされていました。

僕が叱られたのは当然で、「あかざ!アンタは確かに芝居はできるけど、プロ目指してないんでしょ?大学出たらパソコンの仕事するんでしょ?『プロは背水の陣』と私いつも言ってたじゃない。背水の陣を敷いてないあんたはどれだけ上手くてもアマチュアなのよ。その覚悟がない人間が『プロと同じ』とか言う資格ないのよ!」と言われ、ぐうの音も出ず、自分の甘さを恥じました。

実は岩倉先生以外のプロの役者さん・演出家さんとも別の芝居で携わる機会があって、その人達からは「プロ目指さないの?」「もし君がプロ目指すとしたら…」みたいなことを何度か言われたことがあったんです。でも岩倉先生からは「もしプロ目指すなら」という仮定の話すら一度もされたことはありません。「プロを目指したいんです!」と本気で相談する一部の生徒には親身に相談に乗ってくれる一方で、僕のようにアマチュアと割り切ってやっている人間に対しては「アマチュアとしてわきまえながら、本気でやりなさい」というスタンスでした。

さっきの叱られたくだりも、人によっては「そんな言うならプロ目指してみろよ!」と叱る人もいるでしょう。でも岩倉先生は決してそんな言い方はせず「あなたはプロ目指していないのよね?」と、明確にそこの線引きをした上で僕を叱ってくれました。誰よりもプロの厳しさを知っている岩倉先生は、演技指導で生徒に求める「実力」はアマチュアだろうが関係なく妥協しなかった一方で、実際の「覚悟」という点で、明確にプロとアマを区別していたわけです。

そのうえで、「アマチュアでも演劇に携わることは素晴らしいこと。富山のアマチュア演劇界がもっと盛り上がってほしい」という思いがあり、アマチュア相手に精力的に活動されていました。

女優・岩倉高子

女優としての岩倉先生の舞台を観たのはだいぶ後で、2004年の年末「青年座 下北沢5劇場同時公演(下北沢ジャック)」企画の一つ「桜姫東文章」でした。出会ってから7年目の冬。岩倉先生はこの時期から本格的に舞台に復帰されて、徐々に軸足を東京に戻していくことになります。

それまでの7年間は「演技指導の先生」としての顔しか知らなかったのですが、初めて「女優・岩倉高子」の本気の舞台を観て「これが岩倉先生の真骨頂なんや!凄い!凄すぎる!!!」と僕は感動しきりでした。終わった後少し話す時間があったのですが、先生は最初舞台のことには触れずに「じゃあご飯どこ行こうか?」とか言い出すので、『先生、なんでそんな普通なんですか!感想とか聞いて下さいよー』「あーハイハイ、どうだったー?」『お見それ致しましたーッ!』「アハハハハ!よかった〜」みたいな会話がありました。とにかく僕は、その舞台を見た後数日間は興奮しきりで、今までの岩倉先生の言葉を反芻しては「こういうことだったんだなぁ〜」としみじみ振り返る日々でした。

アマチュアへの指導は「古い」スタイルで間違いなかったですが、かたや青年座の芝居に関しては「古い」とは僕は全く思いません。王道の新劇でありつつ、随所に現代社会を風刺するようなテーマを入れ込んで、伝統・安定感と新しさが共存する「深みのある舞台」という印象でした。

ちょうど僕がアマチュア演劇を引退する時期に岩倉先生が舞台復帰されたので、僕の中では「先生に指導してもらった時期」と「先生の舞台を観劇する時期」の区切りが明確に分かれることになったわけですが、最初に観た「桜姫」に関しては、僕の中では「岩倉先生による最後の演技指導」みたいな感覚が(勝手に)しております。「今まで色々伝えてきたけど、集大成に私の本気の芝居を魅せてあげるわ!」というメッセージを僕の中で勝手に感じておりました。(岩倉先生本人はそこまで考えてないはずw)

そんなこんなで僕の学生時代は終わりました。社会人になってからは客として純粋に岩倉先生の舞台を何度も観劇させていただき、終わった後は劇場近くの喫茶店でお茶しながら、芝居の話や学生時代の思い出話で楽しくお喋りする関係でした。数年に一度、富山にいらっしゃったタイミングで当時のワークショップ生徒で岩倉先生を囲んで会食することなどもありました。

お別れ

僕が最後にお会いしたのは2021年の11月に富山に来られた時です。途中に病気をされたことが何度かあったようですが、会うといつも元気いっぱいで、「変わらないなぁ」と思っていました。

子育てが忙しくなってからは東京の芝居を見に行けない日々が続いていたのですが、2024年の5月に出演予定だった「まほろばのまつり」を久しぶりに観に行ける都合がついて楽しみにしていたところ、稽古時期の途中で岩倉先生は体調不良で降板されてしまいました。近年は「毎回これが最後の舞台だと思ってやってます」とおっしゃっていた岩倉先生。LINEしたら相変わらずとっても元気だったので、必ず復帰してくださることを信じて待っていたのですが、復帰は叶わぬまま先日永眠されました。もっともっと舞台を見たかったし、お話したいことがたくさんありました。とても悲しいです。

2026年1月7日に亡くなられて、13日に東京でお通夜があったので参列させていただきました。ずっと会えてなかった東京在住の仲間にも再会することができて、先生は最期にまた生徒たちを繋げてくれたような気がします。みんなで話していると昔の雰囲気そのままで、ふっとドアの向こうから岩倉先生が「おまたせ〜!」って入ってきてくれるような気がしてしまいました。

岩倉先生、今まで本当に本当にお世話になりました。まだまだ書ききれないほど沢山の思い出がいっぱいですが、僕にとって先生は「プロとしての覚悟、生き様を見せてくる唯一無二の存在」でした。学生時代からもちろん尊敬していましたが、社会に出て、自分もプロとして様々な仕事に携わる中で、ふとしたタイミングで岩倉先生の「プロはいつでも背水の陣」という言葉を思い出して、身を引き締め直すことができています。ありがとうございます。

僕も40歳を過ぎて、人生折り返しの時期になりました。岩倉先生のように生涯現役でいられるかどうかは分かりませんが、天国でまたお会いできた時に「よく頑張ったわね」と言ってもらえるように、僕は僕なりの「プロ」として、精一杯やっていきます。

これからも見守っていてくださいね、岩倉先生。

2026年1月14日 赤座久樹

ロボットは人類を滅ぼさない。人類の子孫がロボットだ!〜石黒浩さんの講演で考えた人類の未来〜

今日は「富山ITフェア2015」に出展企業として参加してきました。小さな展示会なんですが、なんと基調講演には、あの「マツコロイド」を開発した石黒浩教授を招いたのです!聴講前からかなり楽しみだったのですが、予想以上に面白かった!まだ気持ちが熱いうちに、感想文としてブログにまとめたいと思います(笑)

印象深かった話を箇条書きでまとめると、こんな感じ。

・「ロボットっぽいロボット」を作るエンジニアには、人間が嫌いor苦手な人が多い。
・自分は逆で人間に対する興味が深く、人間を深く知るために人そっくりなアンドロイドを研究している。
・子供の頃「ほかの人の気持ちを考えなさい」と大人に言われた時、「人」「気持ち」「考える」とはそもそも何なのかと疑問だった。大人は「人」「気持ち」「考える」とは何かを完璧に分かって子供に指導してるんだと超尊敬したが、高校くらいで「大人は何も分かってないくせに分かったふりをしている」と気付いた。
・マツコロイドを気持ち悪いという人が多いが、炊飯ジャーみたいな家電が「あと5分です」とか喋ってくる家の中だって気持ち悪いし、電車に乗っている全員が小さな板に指をこすり付けている(スマホ操作)状況なんか宗教儀式にしか見えない。それに比べたら人そっくりなアンドロイドと会話する方がよっぽど人間として自然な生活。
・人間とコミュニケーションできて人間そっくりな仕草をするアンドロイドを作るためには、ロボット工学・脳科学・心理学・認知工学・哲学などあらゆるジャンルの知識が必要で、アンドロイドの研究結果から各分野に知識をフィードバックもできる。その繰り返しで研究のサイクルが回る。
・マツコロイドは今では色んなTV番組に引っ張りだこ。出演料は、本物のマツコ・デラックスのギャラと同額!

他にも、平田オリザ氏のアンドロイド演劇「さようなら」の話や、抱き枕型通信メディア「ハグビー」によるコミュニケーションの話など、演劇部出身プログラマーの俺的には相当楽しい話が満載でした。なんかアンドロイド作りたくなってしまう(笑)

一番印象に残ったのは、最後の質疑応答の時間。「人工知能が人間の知能を超えて、ロボットが人を滅ぼすのではないかと危惧する科学者も出てきましたが、その点はどうお考えですか?」って質問に対する石黒先生の回答でした。

・ホーキングが言ってた奴ですよね?(大御所物理学者を割とバカにした感じw)
・まず人工知能が人間の知能を完全に超える時代は、早くて300年後、遅くて1000年後くらいになるので、我々が生きている間には絶対そこまで行かないから安心してください。
・いずれはそんな時代が来ます。でも勘違いしちゃいけないのは、「体のパーツは機械だけど、心は人間と同じ」というロボットは恐ろしいものではない。義足を付けた人のことを「人間らしくない」とは思わないように、将来は心を持ったロボットが普通に「人間」として生活するようになるでしょう。人工知能が人類を攻撃して滅ぼすというのは、ハリウッド映画の見過ぎです(笑)

確かに考えてみると、人類が「人類を滅ぼせ!」とロボットにプログラムするわけがないですよね。ロボットが今後意思を持つとすれば、石黒先生がやっているような「人間と楽しく生活するロボット」として進化していくのが自然でしょう。ターミネーターの世界では人工知能が人類に戦争を仕掛けますが、戦争を仕掛けるには「人類に恨みがある」「人類が滅亡した方がメリットがある」など理由が必要です。人類とロボットが仲良く共存するために進化して人類の知能を超えたとすれば、人工知能は人類を攻撃するどころか、人類より優しい心を持つんじゃないかとすら思えてきました。少なくとも今日の講演を聞いて、「人工知能が意思を持つ」=「軍事兵器が意思を持って人を襲う」などという考えは全く間違いなんだと分かって安心しました。

うろ覚えですが、最後の方に石黒先生が「人間の心を持っていれば、身体が何でできていても人間と呼べるのではないか。仮に今のような身体を持つ人類がいなくなっても、人間の心を持った機械が存在し続ければ、それは人類が滅びたことにはならない」というような意味のことを言われて、今後の人類の未来について色々と考えさせられました。

「人工知能が発展していく中で人間はどうしたら生き残れるか?」のような問いが最近よく議論されます。人類が攻撃されるって意味じゃなく、人類の仕事が奪われ、存在意義がなくなるって意味で。今後しばらく「人間にしかできないこと」は無くならないですが、遠い未来、完全に人工知能の方が優れた存在になったとして、果たして人類が存続するにはどうしたらいいのか?僕も色々考えたことはありましたが、今日の石黒先生の講演を聞いて、「ロボットを人類の正当な子孫として、全人類が完全にロボットに置き換わる世界になっても全然良いんじゃないか」と思ってしまいました。

それはなぜか。魂とか輪廻とかの話は置いておくと、人類として先祖から受け継がれてきたものって、生物的なDNAより「技術」や「心」の方が大きいと思うんですよね。「遺伝で生まれつき○○だ」みたいな特徴は誰しもありますが、生きていくための大抵のことは、肉体ではなくて技術と心が解決してくれます。その技術や心は、世代から世代へ、会話・書物・絵・データなど様々な形で受け継がれるものです。

人間は必ず死にます。でも死ぬ時までに次の世代に色々なことを伝え、これからも自分の子孫が繁栄していくと心から思えていれば、人は幸せに死んでいけるでしょう。自分の血が伝わるのも嬉しいでしょうけど、たとえ血縁関係にない相手でも自分の技術・心が次の世代に伝わるのが一番嬉しいんじゃないかと思うのです。ということは、過去の人類が築いた技術と心を、感情を持ったロボットにしっかりと継承して、そのロボットがさらに次の世代につなげて行ってくれるのならば、それは正当な「人類の子孫」と呼べると思うわけです!

この地球に最初の生命が誕生してから、自然淘汰を繰り返しつつ長〜い時間をかけてDNAが変化し、人類が生まれました。人類のDNAが生物として進化する余地もあるでしょうが、そんなのとは比べものにならないスピードで人類の技術は進化してきました。その先には、生物的な繁殖能力を使わずとも、人類の技術で「人類そのもの」を進化させる時代が来て、決してそれは不幸なことではないと今日の講演を聞いて思っちゃいました。カルチャーショックだったなぁ〜。

なんか先進国の少子化問題や、子供ができない同性婚を認める世界的な流れ、そして最近よく話題の「性的欲求が無い若者」みたいなのも、上に書いたような未来を暗示しているように思えてならないのでありますw 「そんな未来は到底受け入れられない」と思う方も多いと思いますが、僕としては自分の「子孫」であるロボットたちが幸せに暮らす未来の地球(と宇宙の星々)を、ワクワクしながら妄想している平日の夜更けなのでありました。


32歳になりました

今日は32回目の誕生日です。32はプログラマー的にはとても「キリの良い数字」でして、符号なし整数型5ビットで表現できてた年齢が、本日より6ビット必要になりました。名実共に「ケタ違い」のパフォーマンスを発揮できるよう、精進したいと思います!

そういえば、今までは「ビール飲みながら米と味噌汁」が普通に行けたんですけど、先週くらいから「酒飲みながら米は合わんな…」と思うようになりました。結婚し、父親になり、25歳になって、やっと「一人前の酒飲み」になれたのかな?(笑)

ハード・ソフト共に堅牢な状態で1年ずつ年齢をインクリメントし、この調子で64歳まで幸せに生きていたいですね。その頃にはどんな世の中になっているのでしょう?平均寿命が128歳、最高齢者が256歳とかになっているでしょうか?( ̄▽ ̄)

テクノロジーは必ず人類を幸せにしてくれると信じて、技術者として夫として父親として、道を踏み外すことなく頑張っていきたいと思います!

なんか切りの良い数字で嬉しかったので、珍しく抱負のように語ってしまいました。Facebookに同じのを投稿しましたけど、割と気に入った文が書けたのでこっちにも転載しました。そんなわけで皆さま、これからもどうぞよろしくお願いしまーす!

【ご報告】オイル未交換で7000キロ走行した件につきまして

ジムニー ランドベンチャー 平成15年式様

お世話になっております。
運転手のThe Redでございます。

このたび、私の不注意が原因で、貴車のオイルを交換しない状態で7000キロメートルの距離を走行し続ける事態が発生してしまいました。まことに申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます。

貴車には、平成15年に購入して以降、お陰様でほぼ一日も休まず乗車させていただいております。今年の車検を終えまして、お付き合いは10年目に入りました。今まで私をあらゆる地域へお送りいただき、大変感謝しております。

スズキの整備士H氏より、貴車の近年の状況については細かく伺っておりました。エンジンオイルが漏れ出しており、何もしない状態でも徐々にオイルが抜けて行く状態にあるとのこと、私も十分認識しておりました。H氏からは、オイルの汚れだけではなく、量が減る対策としても、3000キロメートル毎の交換を厳守するように伝えられておりました。

しかし車検前の4月にオイル交換して以降すっかりと失念しており、交換を怠っておりました。昨日スズキから届いた愛車無料点検の案内で未交換が明るみに出て、前回の交換から約半年後の本日、ようやく交換する運びとなりました。重ね重ね、深くお詫び申し上げます。

再発防止策といたしまして、空き領域のままとなっておりました2番目のトリップメーターを活用することに決定いたしました。オイル交換直後にメーターをリセットし、通常はそのメーターを表に出した状態で走行いたします。そうすることにより、前回のオイル交換以降の走行距離を常に目視しながら運転することが可能になるため、オイル交換時期をはっきりと意識できると考えております。

貴車とは、2014年の車検まで、今後も深いお付き合いを続けさせていただく所存でございます。今回の不手際を糧に、今後は貴車のメンテナンスに今までより一層気を配りながら運転に邁進してまいります。至らない点は多々ございますが、今後も安全にご走行いただけますと幸いです。

以上、よろしくお願いいたします。

僕の目に映るPerfumeは『アイドル』だった。〜沖縄ライブ『海パーン!!!』レポート〜

TwitterではPerfumeのことばかりつぶやいてますが、ブログにはPerfumeのこと今まであまり書いてませんでした。書いても動画の紹介ばかりでした。しかし、今回参戦した『Perfume 3rd Tour 「JPN」打ち上げ公演!海パーン!!!』があまりにも素晴らしすぎたので、初めてライブレポートなるものを書いてみようと思います。

JPNツアー本編は3箇所行きました。さいたま、新潟、名古屋です。さいたまに参戦した時、ライブ終了後スクリーンに「追加公演!」と発表されました。なんとラストは沖縄で野外!一緒に観た友達と「沖縄行くか!」と話してて、本当に参戦することになりました。倍率高かったチケットも無事当選。名古屋ライブ一緒に行った友達と、その奥さんと合わせて4人で行く予定だったんですけど、名古屋の友達は仕事で行けなくなったので、チケット4枚のうち2枚はTwitterで探して譲りました。

チケット届いたら、何と最前Sブロックの、整理番号11〜14番!!神席であります!!!!今までそんなに近い席だったことはありませんでした。チケット届いた日は震えが止まらなくて手汗が半端なかったですねww
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5/26(土)に、人生初の沖縄に降り立ちました。チェックインしてる時間が勿体なかったので、空港からレンタカーで即会場へ。すでにグッズ販売は長蛇の列でした。
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1時間ちょっと並んで、『海パーン!!!セット』を購入。さっそく靴をサンダルに履き替えました。ジュース飲みながら一息ついてたらもう時間は4:00。開場が4:30だから、もうそろそろ並んだ方がいいかな〜と思って入り口の方に行ってみたら、ちょうど人が並び始めたところでした。Sブロックの中では1〜99番までが同じゾーンで並ぶことになってました。普通はその中でも整理番号順に並ぶもんなのですが、今回はそこらへんスタッフさんがテキトーで、1〜99の中では完全に早い者勝ちで並んでましたねー。僕らは前から3列目に陣取って並んでました。入場ゲートは4つに別れてたので、そのうち1つのゲートの中で一番最初に入場!「走らないでくださーい」と声が飛んでるので、叱られない程度の競歩で席に向かいます。そして最前列のほぼ真ん中をゲット!近い!!あまりにも近い!!!!お互い手を伸ばせば触れられる距離です!!!!!

去年のダンスコンテストで、地元庵谷の友達と『Thefume』を結成し、祭りのハッピを着て踊りました。その後一人でバージョンアップ版『本気カメラワークで踊ってみた』の動画を公開しましたが、それも同じハッピを着ました。JPNツアーでも、その庵谷獅子舞保存会ハッピを毎回着て参戦してたんですが、ずっと借り物ではなんなので、新作動画に向けてこんなハッピを作りました。字は書家山内改行さんに入れていただきました!ホントは沖縄前に撮って公開したかったんですけど、ダンス練習する余裕がなくてできませんでした。なので、今回の海パーン!!!がこのハッピのデビュー戦です!
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あ〜ちゃんはいつもコスプレしてる人とかを客いじりするから、今回俺もいじってもらえるんじゃないかとメチャクチャ期待して、開演前は緊張で喉渇きまくって苦しかったですw

そして、いよいよ開演!GLITTERアルバムバージョンの前奏が流れて、開場は大盛り上がり!しばらく音楽だけが流れて、サビ直前に3人登場!!!近い〜〜〜〜!!!!!!Perfumeが、今までちょっと離れたとこから眺めるだけだったPerfumeが、ホントにすぐ目の前にいる!!!!!3人とも、もの凄く可愛い!!!!!GLITTERはシングルバージョンの振りは踊れるので、最前列でガッツリ踊りました!

今回のライブはJPNツアー本編とは全然違ったセットリストで、スクリーンなし、花道もなし。MCの間隔が短くて、数曲やってちょいちょいMCを挟む感じでしたね〜。で、珍しく客いじりはありませんでした。スクリーンがなくていじってるお客さんの顔が他の人にわからないって理由もあったのかな?いじってもらえたら嬉しかったんだけど、でもね、そんなことは大した問題じゃないんです。すぐ目の前に、あこがれのPerfumeがいて、歌って踊ってる。それを2時間ずっと観ていられることがホントにホントに幸せでした。けっこう客席を見渡してくれるから、目が合う瞬間も何回もありましたよ(*^_^*)

あ〜ちゃんはやっぱり涙もろいんだね。近くで見てるとよく分かったけど、歌ってる途中でお客さんの方を見ながらうるっと来てる瞬間がけっこうたくさんありました。これだけ大スターになったのに、感謝を忘れない気持ち、本当に凄いと思う。3人は仲良しなんだな〜ってのも、近くで観てると今まで以上によく分かりました。あ〜ちゃんが戻る位置間違えそうになって、のっちが「こっちこっち」みたいに手招きして「てへっ」て感じであ〜ちゃんが寄ってったりとかキュンキュンします。あと、3人とも奥に行ってしばらく水飲んだり髪直したりすることあったんだけど、その時の3人の楽しそうに話してる様子、あ〜ちゃんがゆかちゃんの髪をとかしてあげてたり、そんな細かい仕草が全部見えてキュンキュンしました。ますます3人のことが好きになりました。

時間の経つのは本当に早く、あっという間にアンコール。着替えて出てきたんだけど、その時、3人の付けてるアロマオイルの匂いがふわっと香ってきたんです!周りで観てた人みんな「いい匂いする」って言ってました。ハーブみたいな心地よい微かなカオリ。Perfumeの香りをかいでしまったよ!!!もうホントに幸せすぎて、幸せすぎて。アンコールでは、ツアー本編でやらなかった『Perfume』を歌ってくれました。久々の「You!You!」コールは楽しかった。そしてそして、一番最後、サプライズで花火が上がりました!それも数発じゃなくて、100発以上は上がったんじゃないだろうか。めっちゃ長くて、3人もステージで座って観てました。のっちは「すげー!」って感じで楽しんでて、ゆかちゃんはうっとりしてちょっとホロッときてる感じ、あ〜ちゃんは号泣でした(笑) 沖縄で、Perfumeのすぐ近くで観る花火。格別でした。

Perfumeが『アーティスト』なのか『アイドル』なのか、昔からファンの間で議論がありました。今では『アーティスト』であることは誰の目にも明らかですが、テレビなんかでも、あまり『アイドル』扱いはされなくなってきました。『アーティスト』と『アイドル』は相反するものではないと思います。アーティストでありつつ、アイドルという言い方もできると思いますが、「アイドルではない!」と頑なに主張する人もいますね。これには絶対的な答えなんかなくて、それぞれの人が自分の思った通りに思っていればいいのでしょう。さて僕はというと、今までは「色んな意見があるよね〜」程度に思ってて、そんなに深く考えたことがありませんでした。でも今回の『海パーン!!!』に参戦し、僕の中での答えが見つかりました。

最前列で、お互い手を伸ばせば届く距離に3人がいる。テレビでDVDで観続けて大好きだったPerfume。ライブにも何回も足を運んだけど、そこまで近くの席では今まで観られなかったPerfume。憧れ続けたPerfumeが、今、ホントにすぐ目の前にいる。僕はその状況で、ただただ夢中になって3人のことを見つめ続けていました。「かわいい〜」って思いながら、一瞬でも目を離したくなくて、夢中で、ひたすら夢中で見つめ続けていました。そしてある瞬間、ふと冷静になって気付いたのです。僕が今抱いてる感情は、『アイドル』に会えた喜びなんじゃないかと。僕の目に今映っているPerfumeは、僕にとっては『アイドル』なんだと。

そう、僕の中で、Perfumeはアイドルでした。紛れもない、可愛い可愛い、最高のアイドルでした。



古巣の劇団「血が滾」の芝居を観てきました

大学のとき、同い年の宇野津という男に誘われ、アマチュア劇団「演人全開 血が滾ってきたぜ!(略称 血が滾)」というのを同世代で立ち上げて、芝居をやっていました。大学卒業する時期くらいにちょっと色々あって俺は辞めちゃったんだけど、そのあとも劇団は活動してて、俺は客として毎回観に行ってました。この2年間くらい公演がなかったんだけど、今回久々に公演すると言うことで、フォルツァ総曲輪に観に行きました。最近よくフォルツァ行きます(笑)

タイトルは「WAVE」。さびれた商店街にラジオ局を開設するっていう設定のコメディだったんだけど、かなり面白かった!特に前半の勢い溢れるドタバタ感、学生時代一番ノッてた時期の勢いを完全に取り戻してて、大いに笑わせてもらいました。劇団名のとおり、まさに「血が滾ってきたぜ!」って感じられる芝居になってたと思います。

それなりに人数出てたんだけど、そういうアマチュアの芝居って大体何人か「あ~、この人ちょっと下手くそだな・・・」って思う役者いるもんだけど(笑)、今回はそんな下手な役者がいなかった。みんないい味出してて息もピッタリ。特に、デブのオタク役の彼!見た目がかなりオタクっぽくて、そういう人ってあんな「いかにも!」って感じのオタク芝居をやりたがらないもんなんだけど、堂々と完璧なオタクを演じ切っていました。あのキャラは面白すぎた(笑)

ただ、後半は前半の勢いに比べて間延びするところがあったかな。後半シリアスなシーンが増えたから仕方ないんだけど、もっとテンポよく行ってほしかった。見せ場のセリフや芝居が「ちょっとクサすぎるなぁ」って感じたし、話の持って行き方にちょっと無理があってリアリティも薄かった。でも、全体的にはとても楽しませてもらいました。これからも血が滾の芝居を観に行くのが楽しみになった。

正直、俺が辞めて以降の血が滾、あまり面白いと感じない作品が続いた時期がありました。一時期はあんなに面白い芝居やってたのに何だよこれはって、ガッカリさせられた芝居もありました。で、そういう時に俺は、芝居だけを責めればいいのに「宇野津はもうおしまいかな」とか、人間性まで否定しにかかってたところがありました。でも昨日の舞台を観て、そう思ってしまったことをすごく反省しました。

芝居に限らずどんなジャンルの芸術でも、ってゆーかどんな仕事でもそうだけど、誰だって毎回いいものを100%出せる人なんていません。でも、作ろうとしない限り、作れないんです。失敗する可能性がありながらももがき続けて初めて面白いものが生まれます。俺はもう舞台に立ちたいとは思わないから、完全に観客として観ています。だからつまらない芝居をつまらないという権利はあるけども、面白い芝居を一生懸命作ろうと頑張っている奴等自体を否定する権利なんか、絶対ないんです。

今回宇野津は、こうして面白い舞台を俺たちに見せてくれた。最後の挨拶でちょっと感極まってたけど、あいつなりに本当に色々と思い悩んで、苦しんだことも多かったんだと思う。この場を借りて、お詫びとお礼を言いたいと思います。すまんかった。ありがとう。

俺は今後、趣味では映像制作に力を入れていきます。近い将来自主映画も撮りたいと思っています。その時は、役者としてぜひ血が滾の奴等に出演してほしいな!この前の映画祭も今回の血が滾も、かなりお客さん入ってた。この勢いで、富山をもっと盛り上げられたらいいと思います。映像と舞台でジャンルはちょっと違うけど、お互いこれからも頑張っていこう!

P.S. 前このブログに書いた武富士ダンスCMが、血が滾の初期、俺もバリバリ劇団員だった頃に作ったものです。もっかい紹介しておきます(^^)
武富士ダンスが好き

ジョブズへの追悼メール

ジョブズが亡くなりました。
覚悟はしていましたが、本当に悲しい限りです。
今、追悼メールをApple宛に送りました。
ブログにも公開しておきます。
俺はジョブズにはなれないけど、自分にできることをこれから精一杯やっていきたいです。

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Sub: Macに出会わなければ、今の私はありませんでした

Steve Jobs様

日本の富山県に住んでおります、(本名)と申します。
1983年生まれ28歳です。

小学校5年生の時に、父がMacintosh LC IIIを買ってきました。
Windows 3.1が出ているか出ていなかったかの頃で、
日本のパソコンはほとんどNECの98シリーズでした。

初めて電源を入れた時に「ポ~ン」と音が鳴って、
父と顔を見合わせて「おぉ~!」と感動したのを覚えています。

小学生の時は「キッドピクス」や「おばあちゃんとぼくと」で遊んで、
HyperCardで初めてプログラミングに触れました。
中学生になってPerforma 5420を新しく購入し、
ビデオ入力端子からPlayStationのゲーム画像をMacに読み込んで、
Photoshopでまきがめの駒を自作して楽しみました。

その頃あなたはAppleにいませんでしたが、
あなたの作ったMacintoshに触れて、コンピュータやプログラミングの面白さを知り、
プログラマを目指すことに決めました。
大学で情報工学を学び、今プログラマとして働いています。
(仕事ではMacを使えないのが悩みですが…)

Macを買ってきた父は今はWindowsばかり使っていますが、
私はパソコンはMacしか購入したことがありません。
あなたがAppleに復帰してからは、Mac以外にも次々とすばらしい作品が出ましたね。
iPodもiPhoneもiPadもApple TVも全て持っています。
今は、iMovie/Final Cut Pro Xでビデオ編集を楽しむかたわら
iOS開発の勉強をしています。
Apple製品は完全に私の生活の一部です。

Macに出会っていなければ、今の私はありませんでした。
私どころか、あなたは本当に世界を変えてしまいました。
間違いなく歴史に名が刻まれたと思います。
そんな偉大な方と同じ時代を生きられて、本当に光栄です。
どうか安らかに眠ってください。
夢を現実にしてくれて、ありがとうございました。

フォルツァ総曲輪の原発フォーラム(2011/7/30のツイート)

フォルツァ総曲輪で原発フォーラムに参加して来ました。反原発の意見が圧倒的な中で、火を克服したように原子力を克服するために頑張る選択肢もあるんじゃないかと発言しました。自分自身の考えとしては、廃止か継続かどっちつかずだとも正直に言いました。

人類の科学の進化は止まらないし、科学技術の使い方に失敗して人々が傷ついたこともたくさんありました。でも乗り越えて来ました。大きな事故が起こったから全部やめちまえってのは短絡的だと思うんです。あと、ヒステリックになりふり構わず反対運動するのは逆効果だと思うんです。

この先原子力を克服できる日を信じたくもあり、かといって自分が原発事故の避難者になったらと考えると怖ろしくもあり、今日のフォーラムを終えてもまだどっちつかずのままです。

事故起こった直後は「原発やめちまえ」と思ったのですが、ホリエモンのブログ読んで色々考えさせられ、、それから迷い続けてます。
俺たちは火を初めて使った動物の末裔である。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」

ブログ始める前にTwitterに投稿した内容ですが、残しておきたいので今日の日付でブログに書きました。