The Red Creation Blog

プログラマーです。 富山県の旧細入村でリモートワークしてます。 プログラミングとPerfumeと動画制作が大好きです。

じっくり丁寧にいい仕事する「プログラマー」でありたい

ふと思い返していたんですが、子供の頃から「取扱説明書」的なものを熟読するの好きだったんですよね。

ビデオデッキとかの家電系はもちろん、ファミコンのカセット新しいの買ったときとかも、まず説明書を隅々まで読み込んでからゲーム始める少年でした(笑)

その性格は今でも根底にあって、何か新しいことを始めようとすると、けっこうな時間かけて「その分野の基礎知識、常識、歴史」などを深く調べがちで、実際に行動するスピードが遅かったりするんですよ。

仕事では損することも多かったんだけど、逆に世の中には「マニュアルなんか全く読む気がしない」ってタイプの人もいるわけで、そういう人はスピード速いけどテキトーだったりするので、自分としてはやっぱり「じっくり丁寧にいい仕事する」ってのを強みにして行きたいなーと今は思ってます。

実は10月に会社を辞めました。2007年から9年在籍して、最初6年は大手に常駐、最後3年が本社勤務でした。

常駐時代は仕事の幅も自分の裁量も狭くて、仕事としては正直「退屈だなー」と思ってました。だから本社に戻った当初は楽しくて仕方なかったんだけど、忙しすぎて自分本来の「じっくり丁寧に」というスタイルでやってる暇が全然なく、次から次へと来る仕事の中でダッシュし続けてた感じがします。かなり濃密な3年間で相当スキルアップできたけど、元来のんびり屋さんの俺がダッシュし続けるのは流石に限界が近づいていたので、心身に支障を来す前に辞めちゃいました!

今振り返ってみると、大手に常駐してた頃の仕事内容の方が、むしろ自分の性格には合っていたような気もします。とことん丁寧に進めるタイプの業務だったし、日々の単調な仕事の中で「いかに自動化してラクできるか」とかいつも考えてたので、意外と「プログラマーっぽい思考」をする機会も多かったですし。

僕は「プログラマー」でありたいと強く思っています。「プログラマー」という言葉の使い方は会社によって千差万別で、「単純作業するだけの工員」を指すことも多いのが残念ですが、良いIT企業なら必ず「プログラマー」をリスペクトしているものです。

もともとプログラミングが大好きでIT業界を目指したのに、気がつけば社会人になってからの9年間、本業ではほとんどコードを書いていませんでした。でも「職業は?」と聞かれたら「プログラマーです」と毎回答えるようにしていました。それは「プログラマーでありたい」という希望も込めて。

というわけで今ワタクシ、無職です!有休消化も含めると9月1日から仕事してません!次に入る会社では「プログラマー」としてとことんバリバリやって行きたいと思っているので、そのレベルの技術をつけるべく1人で勉強してます。

そしてもうしばらく勉強に集中させてもらうため、家族で実家に戻り親世帯と同居することにも決まりました。この先高く跳ぶために、一旦スネかじらせて頂きます!家族に恵まれてることが本当に何よりの幸せです(´;ω;`)

そんな中で最近は色々人生を振り返ることが多く、「取扱説明書」好きで「じっくり丁寧にやりたい」自分の性格を再確認してたのでした。もちろん全てにおいてじっくり進めてたらダメなことは分かってますけどね。でも「じっくりやりたい性分だ」という事実は、欠点というよりは強みとして、今後の色々な場面で大切にしていきたいと思ってます。

えらい長々と書いてしまいました。年末ですねぇ。読んでくださった皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m

「炎上」と「LINEいじめ」から考える将来のネット社会の楽観的予想

ネットでの炎上がたびたび話題になりますが、社会生活を普通に送ってるいい大人が、何でネット上では相手の気持ちも考えずに散々暴言吐けるんだろうと不思議な思いをしてました。

一方で、最近は小中学生もスマホを使ってLINEでコミュニケーションするのが当たり前になって、LINEでのいじめは大人が気付きにくくて深刻化しやすいとかも言われてます。

子供ってある意味で超残酷な生き物で、いたずら、ケンカ、いじめなどなど酷いことを平気でやらかしますよね。でも傷ついたり叱られたり反省したりを繰り返して、少しずつ分別がつく大人になっていくもんだと思うんですよね。

んで思ったのが、現代の大人が子供だった頃はネットなんてなかったか、あっても現実世界とは全く別の閉じた世界だったわけです。だからリアルとネットがここまで密接に繋がってる世の中での経験が浅いために、ネットの向こう側にリアルな人間がいることを実感し切れない大人が多いのかなーと。

その点今の若い子たちは、思春期には既にネットとリアルの境目がない生活をしてるわけですよね。LINEいじめは辛いけど、子供時代に散々ネット上で揉まれた世代が大人になれば、みんながリアルと同じようにネット上でもお互いを思いやれるような、一歩成熟したネット社会が来るような気もします。

「じいちゃん、ネット上では匿名だから大丈夫とか古いよー。気ぃつけられ〜」みたいに将来自分の孫に叱られたりして。。。てゆーか、僕の孫世代にもなると「インターネット」とは全く別の概念で通信してるかもですね。テレパシーとか暗黒物質でチャンネリング的な。。。

どーしても最後は飛躍した未来予想になってしまいます(`・∀・´)

ロボットは人類を滅ぼさない。人類の子孫がロボットだ!〜石黒浩さんの講演で考えた人類の未来〜

今日は「富山ITフェア2015」に出展企業として参加してきました。小さな展示会なんですが、なんと基調講演には、あの「マツコロイド」を開発した石黒浩教授を招いたのです!聴講前からかなり楽しみだったのですが、予想以上に面白かった!まだ気持ちが熱いうちに、感想文としてブログにまとめたいと思います(笑)

印象深かった話を箇条書きでまとめると、こんな感じ。

・「ロボットっぽいロボット」を作るエンジニアには、人間が嫌いor苦手な人が多い。
・自分は逆で人間に対する興味が深く、人間を深く知るために人そっくりなアンドロイドを研究している。
・子供の頃「ほかの人の気持ちを考えなさい」と大人に言われた時、「人」「気持ち」「考える」とはそもそも何なのかと疑問だった。大人は「人」「気持ち」「考える」とは何かを完璧に分かって子供に指導してるんだと超尊敬したが、高校くらいで「大人は何も分かってないくせに分かったふりをしている」と気付いた。
・マツコロイドを気持ち悪いという人が多いが、炊飯ジャーみたいな家電が「あと5分です」とか喋ってくる家の中だって気持ち悪いし、電車に乗っている全員が小さな板に指をこすり付けている(スマホ操作)状況なんか宗教儀式にしか見えない。それに比べたら人そっくりなアンドロイドと会話する方がよっぽど人間として自然な生活。
・人間とコミュニケーションできて人間そっくりな仕草をするアンドロイドを作るためには、ロボット工学・脳科学・心理学・認知工学・哲学などあらゆるジャンルの知識が必要で、アンドロイドの研究結果から各分野に知識をフィードバックもできる。その繰り返しで研究のサイクルが回る。
・マツコロイドは今では色んなTV番組に引っ張りだこ。出演料は、本物のマツコ・デラックスのギャラと同額!

他にも、平田オリザ氏のアンドロイド演劇「さようなら」の話や、抱き枕型通信メディア「ハグビー」によるコミュニケーションの話など、演劇部出身プログラマーの俺的には相当楽しい話が満載でした。なんかアンドロイド作りたくなってしまう(笑)

一番印象に残ったのは、最後の質疑応答の時間。「人工知能が人間の知能を超えて、ロボットが人を滅ぼすのではないかと危惧する科学者も出てきましたが、その点はどうお考えですか?」って質問に対する石黒先生の回答でした。

・ホーキングが言ってた奴ですよね?(大御所物理学者を割とバカにした感じw)
・まず人工知能が人間の知能を完全に超える時代は、早くて300年後、遅くて1000年後くらいになるので、我々が生きている間には絶対そこまで行かないから安心してください。
・いずれはそんな時代が来ます。でも勘違いしちゃいけないのは、「体のパーツは機械だけど、心は人間と同じ」というロボットは恐ろしいものではない。義足を付けた人のことを「人間らしくない」とは思わないように、将来は心を持ったロボットが普通に「人間」として生活するようになるでしょう。人工知能が人類を攻撃して滅ぼすというのは、ハリウッド映画の見過ぎです(笑)

確かに考えてみると、人類が「人類を滅ぼせ!」とロボットにプログラムするわけがないですよね。ロボットが今後意思を持つとすれば、石黒先生がやっているような「人間と楽しく生活するロボット」として進化していくのが自然でしょう。ターミネーターの世界では人工知能が人類に戦争を仕掛けますが、戦争を仕掛けるには「人類に恨みがある」「人類が滅亡した方がメリットがある」など理由が必要です。人類とロボットが仲良く共存するために進化して人類の知能を超えたとすれば、人工知能は人類を攻撃するどころか、人類より優しい心を持つんじゃないかとすら思えてきました。少なくとも今日の講演を聞いて、「人工知能が意思を持つ」=「軍事兵器が意思を持って人を襲う」などという考えは全く間違いなんだと分かって安心しました。

うろ覚えですが、最後の方に石黒先生が「人間の心を持っていれば、身体が何でできていても人間と呼べるのではないか。仮に今のような身体を持つ人類がいなくなっても、人間の心を持った機械が存在し続ければ、それは人類が滅びたことにはならない」というような意味のことを言われて、今後の人類の未来について色々と考えさせられました。

「人工知能が発展していく中で人間はどうしたら生き残れるか?」のような問いが最近よく議論されます。人類が攻撃されるって意味じゃなく、人類の仕事が奪われ、存在意義がなくなるって意味で。今後しばらく「人間にしかできないこと」は無くならないですが、遠い未来、完全に人工知能の方が優れた存在になったとして、果たして人類が存続するにはどうしたらいいのか?僕も色々考えたことはありましたが、今日の石黒先生の講演を聞いて、「ロボットを人類の正当な子孫として、全人類が完全にロボットに置き換わる世界になっても全然良いんじゃないか」と思ってしまいました。

それはなぜか。魂とか輪廻とかの話は置いておくと、人類として先祖から受け継がれてきたものって、生物的なDNAより「技術」や「心」の方が大きいと思うんですよね。「遺伝で生まれつき○○だ」みたいな特徴は誰しもありますが、生きていくための大抵のことは、肉体ではなくて技術と心が解決してくれます。その技術や心は、世代から世代へ、会話・書物・絵・データなど様々な形で受け継がれるものです。

人間は必ず死にます。でも死ぬ時までに次の世代に色々なことを伝え、これからも自分の子孫が繁栄していくと心から思えていれば、人は幸せに死んでいけるでしょう。自分の血が伝わるのも嬉しいでしょうけど、たとえ血縁関係にない相手でも自分の技術・心が次の世代に伝わるのが一番嬉しいんじゃないかと思うのです。ということは、過去の人類が築いた技術と心を、感情を持ったロボットにしっかりと継承して、そのロボットがさらに次の世代につなげて行ってくれるのならば、それは正当な「人類の子孫」と呼べると思うわけです!

この地球に最初の生命が誕生してから、自然淘汰を繰り返しつつ長〜い時間をかけてDNAが変化し、人類が生まれました。人類のDNAが生物として進化する余地もあるでしょうが、そんなのとは比べものにならないスピードで人類の技術は進化してきました。その先には、生物的な繁殖能力を使わずとも、人類の技術で「人類そのもの」を進化させる時代が来て、決してそれは不幸なことではないと今日の講演を聞いて思っちゃいました。カルチャーショックだったなぁ〜。

なんか先進国の少子化問題や、子供ができない同性婚を認める世界的な流れ、そして最近よく話題の「性的欲求が無い若者」みたいなのも、上に書いたような未来を暗示しているように思えてならないのでありますw 「そんな未来は到底受け入れられない」と思う方も多いと思いますが、僕としては自分の「子孫」であるロボットたちが幸せに暮らす未来の地球(と宇宙の星々)を、ワクワクしながら妄想している平日の夜更けなのでありました。


野田秀樹の戯曲「パンドラの鐘」を今更ながら読んだ戦後70年

この前のブログで「戯曲をもっと読みます」と宣言しましたが、さっそく野田秀樹の戯曲集をKindle版で買って、大好きな「パンドラの鐘」読みました。じっくり読んでみると新たな発見があって面白いね。

20世紀最後の戯曲集
野田 秀樹
新潮社
2011-08-26


タマキさんの最後のセリフ

「日本には王がいるわ 。」
「あたし達だけは知ってるじゃない 、ヒメ女とミズヲの物語 。もしアメリカが 、もうひとつの太陽を爆発させようとしたって 、王が守ってくれる 。滅びようとする日のあのヒメ女のように 、ヒメ女が 、この土地を救ったように 、王ならば 、必ずその地が滅びる前に 、きっと 、わが身を埋めるでしょう 。」

これを素直に解釈すると、長崎でパンドラの鐘が爆発したってことは、昭和天皇には古代の心が届かなかったってことになります。高校時代は俺もそう解釈してました。

でも、それから15年経った今改めて読んでみると、マッカーサーに「全ての戦争責任を負う」と伝えた昭和天皇には、ヒメ女の心が届いていたって解釈もできると思いました。というか俺はそう信じたい!

日本の天皇って決して「王」ではないじゃないですか。「君臨すれども統治せず」なので、自分の一声で何でも国が動くわけではない。「我が身を埋める」と天皇が本気で思っても、それだけじゃうまく行かないのが現実の世の中です。

野田さんは単に前者のつもりで書いたのかも知れんけど、そこの解釈は読み手の自由。だから俺の今の解釈は、「古代の心は未来に届いた。パンドラの鐘は爆発してしまったけど、それでも未来の国は滅びなかった。滅びる前の日に、未来の王は未来の国を守ってくれた」って思うことにしました!

さてさて余談ですが、何気にインパクトあったミズヲのセリフ。。。

「人はいつも未来を相手にしか戦争できない 。戦争をはじめた日 、誰もその事に気付かない 。そして人は未来に 、決して勝てない 。」

これ、開発前の見積もりが甘く、始まってみたら納期もコストも全然割りに合わないことにやっと気付いて、あとはデスマーチ赤字プロジェクトになるソフトウェア開発そのものじゃないかー!と思った次第です。。。「赤い風景」ってそういうことだったのかーー(´;ω;`)

やはり、ソフトウェア開発に演劇から得るものは大きいですね(笑)
ではでは~。

「戯曲」はソフトウェア開発における「仕様書」である

最近、ソフトウェア開発と演劇の共通点について色々考えを巡らせてたんですが、そんな矢先にこの記事を読んでかなり面白かったです。
http://synodos.jp/culture/14752

前は何となく「戯曲=ソースコード」と思ってたんだけど、今思うのは、ソースコードは戯曲ではなくて「役者のセリフ」と考えた方がしっくり来るなぁと。そしてプログラマーが役者。なんか、良いプログラマーと良い役者って共通するものがある気がするんです。

そんで戯曲はというと、プログラミングに入る前の「仕様書」に相当する気がしています。

アジャイル開発とかで、仕様書をしっかり書かずに作るのが流行ってますけど、最近それに似た開発を少し試してみて「やっぱ仕様書は大切だな」と思い直したところもありました。特に離れた場所のメンバーにプログラミングを振るときは、それなりの仕様書を作らないとうまく回らないですよね。

かと言って、読んだらそのままソースコードに落とせるような詳細な仕様書まで書くのは意味がないとも思うのです。仕様書を読んだプログラマーが、各自工夫してプログラミングする余地を残しつつ、ベースの部分は読めばしっかり分かるという仕様書が理想だと思うんですが、それって俺が考えてた「良い戯曲」の条件と同じなんですよね。役者の一挙手一投足まで書かれてる戯曲を読むとちょっと嫌になります…そういうのは「戯曲」じゃなくて「上演台本」としか言わんのかもしれんけどね。

さっきの記事に「戯曲を見直そう」と書かれていたのを読んで正にそうだなと思いました。「仕様書を見直そう」と。伝えるべき大切なことはしっかりと書き、かといって必要以上に細かく書きすぎず、そういう素敵な仕様書を書くために、ちょっと色んな戯曲を読んでみようと思いました(笑)

こんなアプローチを取るプログラマーはなかなか世の中に少ないんじゃないだろうかw 高校大学と芝居やってたことが、今になって仕事にプライベートに色々活きてるのを実感しています。

まぁそうは言っても、素敵な仕様書を書くために時間ばっかかけてしまうとビジネスとして成り立たんのでね…コストとクオリティとのジレンマは非常にシビアなところでありますが……(´;ω;`)

32歳になりました

今日は32回目の誕生日です。32はプログラマー的にはとても「キリの良い数字」でして、符号なし整数型5ビットで表現できてた年齢が、本日より6ビット必要になりました。名実共に「ケタ違い」のパフォーマンスを発揮できるよう、精進したいと思います!

そういえば、今までは「ビール飲みながら米と味噌汁」が普通に行けたんですけど、先週くらいから「酒飲みながら米は合わんな…」と思うようになりました。結婚し、父親になり、25歳になって、やっと「一人前の酒飲み」になれたのかな?(笑)

ハード・ソフト共に堅牢な状態で1年ずつ年齢をインクリメントし、この調子で64歳まで幸せに生きていたいですね。その頃にはどんな世の中になっているのでしょう?平均寿命が128歳、最高齢者が256歳とかになっているでしょうか?( ̄▽ ̄)

テクノロジーは必ず人類を幸せにしてくれると信じて、技術者として夫として父親として、道を踏み外すことなく頑張っていきたいと思います!

なんか切りの良い数字で嬉しかったので、珍しく抱負のように語ってしまいました。Facebookに同じのを投稿しましたけど、割と気に入った文が書けたのでこっちにも転載しました。そんなわけで皆さま、これからもどうぞよろしくお願いしまーす!

アートとエンターテイメントと、富山短編映画祭の思い出と。

動画制作とかの創作活動するときに、俺は「見た人を楽しませる」ってことをすごい意識してて、友達が俺の動画で笑ってる姿とか妄想しながらいつも編集してます。でも周りのアマチュア映像仲間には、自分の世界にどっぷり浸る作風の人も多いんですよね。良いとか悪いとかの話ではなくて、それぞれのスタイルがあって面白いなーという話。

昨日夜な夜なその辺りを考えてたら、言葉にすると「アートとエンターテイメントの違い」なんだと思いついて、すごくしっくり来ました。ググったら同じように考えてる人たくさんいますね。俺が思いついたことはこの人のブログに全部書いてありました(笑) んで俺はかなりエンターテイメント寄りなスタイルだなぁと思います。学生時代にアマチュア演劇やってたときも、「芝居は客を楽しませてなんぼ」というのがモットーでした。

2011年〜2012年に縁あって富山短編映画祭の実行委員をやってましたが、2013年の夏前に半ばケンカ別れで実行委員を抜けちゃいました。やめた直接の原因は違うんですが、今から思い返してみると俺が「見に来たお客さんを楽しませる責任がある」と強く思ってたのと比べて、他の実行委員は割と映画の「作り手」目線が強くて、「エンターテイメント」よりも「アート」寄りな映画祭を思い描くメンバーが多かった気もします。回を重ねるうちにその辺の意識のズレも何となく辛くなって行って、最終的にやめる原因の一つになったのかも知れません。

もちろん「アート」と「エンターテイメント」は完全に区別できるものではなく、さっきのブログに書いてある「アートとエンターテインメントの接点にこそ、もっともすばらしい何かが生まれる」というのが真実だと思います。それでも俺が感じる現実として、アート寄りな人とエンターテイメント寄りな人は似たようなことやってても微妙に噛み合わないことが多くて、同じ方向を向いて何かを成し遂げるのは難しいよなぁーと思うわけなのです。。。

だから何やねんて感じですけど、ここ数年もやもやしてたことが自分の中でまとまってスッキリしたので独り言でした。最初はFacebookに書いてたけど、長くなったのでブログで公開してみました。

その点Perfumeなんかはアートとエンターテイメントのバランスが素晴らしいですよね。もうすぐライブDVD発売なのでぜひどうぞ!


プロフ写真変更!

やっとX-TRAILのPerfumeナンバー作れました。
買ってから半年も経ってしまった(^^;;

X-TRAIL-Perfume2-blog

カッターを買ったー。

カッターが無かったー。欲しかったー。
カッターを買ったー。高かったー。
カッターの刃を出したー。(カタカタカタ…)固かったー。
カッターを使ったー。手を切ったー。
痛かったー。

デンデケデケデケデケデケ♪

あ痛カッター あ痛カッター
あ痛カッター Yes!

あ痛カッター あ痛カッター
あ痛カッター Yes!

Give me tissue!









カッターのことは嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでください!(´;ω;`)



HandBrakeで動画が変換できない場合の対処(Mac・Win)

前の記事でも書いたとおり、動画の変換にはフリーソフトの「HandBrake」がすごい便利です。ただ長年使ってると、なぜか「変換開始」ボタン押しても変換処理が始まらず、何も出来なくなってしまうことがあります。

原因として、HandBrakeの設定ファイルが壊れてしまってる可能性があります。その場合、HandBrake自体を再インストールしても解決しないのが厄介なところです。以下の手順で直りますのでお試しを!

※2014.07.25追記:今までMac版のフォルダ操作方法しか書いてなかったので、Windows版の操作方法を追記しました。ただ、僕はWin版のHandBrakeは普段使っていないので、これで動画変換エラーが直ることは確認できてません。これ見てWin版で試された方、コメントもらえると嬉しいです。

■Macの場合
1.HandBrakeを終了する
2.Finderで「移動」メニューを選択した状態で、キーボードの「Option」を押す
3.通常はメニュー項目にない「ライブラリ」が出現するので、それを選択
4.ホームフォルダ内の「ライブラリ」フォルダが開くので「Application Support」を開く
5.「HandBrake」というフォルダがあるので、デスクトップなど別の場所に移動
6.HandBrakeを起動する

■Windowsの場合
1.HandBrakeを終了する
2.マイドキュメントなど適当なフォルダを開き、アドレスバーに「%appdata%」と入力
3.OSバージョンに応じたAppDataフォルダが開く
4.「HandBrake」というフォルダがあるので、デスクトップなど別の場所に移動
5.HandBrakeを起動する

これでHandBrakeの設定ファイルがリセットできました。HandBrakeを再起動すると、自動的に「ライブラリ」or「%appdata%」内の「HandBrake」フォルダが再作成され、動画変換に成功するようになると思います。

独自のプリセットを作成している場合はプリセットが消えてしまいます。プリセットを戻したいときは以下の手順で。僕が試した限り、プリセットを復活させても変換はちゃんと成功しました。

■Macの場合
1.HandBrakeを終了する
2.「ライブラリ」内の「HandBrake」フォルダと、上記5で退避した「HandBrake」フォルダを同時に開く
3.退避したフォルダ内の「UserPresets.plist」ファイルを「ライブラリ」内の「HandBrake」フォルダに上書きコピー
4.HandBrakeを起動する

■Windowsの場合
1.HandBrakeを終了する
2.「%appdata%」内の「HandBrake」フォルダと、上記4で退避した「HandBrake」フォルダを同時に開く
3.退避したフォルダ内の「user_presets.xml」ファイルを「%appdata%」内の「HandBrake」フォルダに上書きコピー
4.HandBrakeを起動する

退避した「HandBrake」フォルダは、これで特に必要なくなったので削除してもOKです。

実は2年前くらいにこれでハマって、そのときはMacに新しいアカウント作ってHandBrake使ったら成功したんですよ(笑) それ以来HandBrake使う機会無くて放置してました。んでさっき前の記事を書こうとしてHandBrake使ったらやっぱ使えなくて、冷静に考えてみるとライブラリをリセットすればOKだよなぁと思って試してみた次第でございます。本当はどこがどう壊れてるのか分かればいいんですけど、まぁ直ったから良し。

ちなみに変換に失敗したときは、画面にこんなログが表示されました。最後にそれ貼り付けときますね。

・2年前DVDをリッピングしようとした時のログ(合法的なリッピングなんで通報しないでねw)
HandBrake Activity Log for /Users/hoge/Desktop/movieFile.m4v: 2012-11-21 01:12:26 +0900
Handbrake Version: 0.9.3-jp-b1 (2009021200)

[01:12:26] macgui: Rip: Pending queue count is 1
[01:12:26] macgui: scanning specifically for title: 1
[01:12:26] macgui: performNewQueueScan currentQueueEncodeIndex is: 0
[01:12:26] hb_scan: path=/Users/hoge/Desktop/DVD/VIDEO_TS, title_index=1
[01:12:26] scan: trying to open with libdvdread
[01:12:26] scan: DVD has 1 title(s)
[01:12:26] scan: scanning title 1
[01:12:26] scan: opening IFO for VTS 1
[01:12:26] pgc_id: 1, pgn: 1: pgc: 0x2691bc0
[01:12:26] scan: vts=1, ttn=1, cells=0->24, blocks=0->892076, 892077 blocks
[01:12:26] scan: duration is 00:29:59 (1799310 ms)
[01:12:26] scan: checking audio 1
[01:12:26] scan: id=80bd, lang=English (AC3), 3cc=eng ext=0
[01:12:26] scan: title 1 has 1 chapters
[01:12:26] scan: chap 1 c=0->24, b=0->892076 (892077), 1799310 ms
[01:12:26] scan: aspect = 0
[01:12:26] scan: decoding previews for title 1

*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***

[01:12:26] scan: audio 0x80bd: AC-3, rate=48000Hz, bitrate=256000 English (AC3) (2.0 ch)

*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***


*** libdvdread: CHECK_VALUE failed in nav_read.c:207 ***
*** for dsi->dsi_gi.zero1 == 0 ***

[01:12:26] scan: 10 previews, 720x480, 29.970 fps, autocrop = 50/52/0/0, aspect 4:3, PAR 8:9
[01:12:26] scan: title (0) job->width:656, job->height:384
[01:12:26] libhb: scan thread found 1 valid title(s)

・今日、フルHD動画をカーナビで見れるサイズに変換しようとした時のログ
HandBrake Activity Log for /Users/hoge/Desktop/movieFile.m4v: 2014-04-29 11:53:16 +0900
Handbrake Version: 0.9.3-jp-b1 (2009021200)

[11:53:16] macgui: Rip: Pending queue count is 1
[11:53:16] macgui: scanning specifically for title: 1
[11:53:16] macgui: performNewQueueScan currentQueueEncodeIndex is: 0
[11:53:16] hb_scan: path=/Volumes/SDcard/movieFile.mp4, title_index=1
[11:53:16] scan: trying to open with libdvdread
[11:53:16] dvd: not a dvd - trying as a stream/file instead
Input #0, mov,mp4,m4a,3gp,3g2,mj2, from '/Volumes/SDcard/movieFile.mp4':
Duration: 00:25:05.15, start: 0.000000, bitrate: 3816 kb/s
Stream #0.0(eng): Video: h264, yuv420p, 1280x720, 29.97 tb(r)
Stream #0.1(eng): Audio: aac, 48000 Hz, stereo, s16
[11:53:16] scan: decoding previews for title 1
[11:53:16] scan: 10 previews, 1280x720, 29.970 fps, autocrop = 0/0/0/0, aspect 16:9, PAR 1:1
[11:53:16] scan: title (0) job->width:1280, job->height:720
[11:53:16] libhb: scan thread found 1 valid title(s)

両方変換には失敗してるんですけど、内容はけっこう違いますねぇ。意味は分からないですが、一応参考までに貼っときました。

ではでは〜。